鹵水豆腐
それからずっと、どぶろく作りをしている。
静かな部屋で、プツプツと沸きつきの音を聴く喜びは、他人から見たらちょっと危ないものがある。手順をかえ、材料の配分をかえ、保存の温度を調整して、甘くなったり辛くなったり、酸っぱくなったり。ときには、臭みが出て失敗したり。
基本的な作り方はそうかわらなくても、細かなところで、こうしたほうが良いのではないかと気がついて、こうした場合と、そうした場合との違いを注意深く調べてみて、その結果から、他の工程すべてを見直してみて・・・という具合に、小さな創意工夫を根気よく重ねてゆく。その行為は、向こうからやってくるハプニングや、好奇心に身をゆだねて楽しめる異国への旅みたいなものではなく、ごく平凡な日常に、自ら変化をつくってゆく内なる旅で、積極的に創造力を働かせないと退屈する。
(どぶろくに昼からごきげんなスタッフ)
ドキドキするようなスリルはなくても、ちょっとした心の隙が敗北の味を生む。どぶろくの味にさえも、作る人の心の強さや弱さが表れる。静かで孤独な闘い。趣味で造ってもそうなのだから、職業で造っている人は、もっと大きな苦労や喜びがあるのだろう。
ここでもう一度、「日本の酒」発酵学者・坂口博士著を読み返してみると、やっぱり日本の酒の仕事はすごい。坂口博士の仕事もすごい。その美学、その哲学、仕事に対する愛の大きさがちがう。
本物を嗜むということには、その味や質を鑑賞するだけでなく、それを成した仕事を尊ぶ喜びがあると思う。もっと本物の日本酒を飲んでみたい。知ってみたい。
鹵水豆腐。
鹵水とは、塩をベースに、香辛料や醤油で味付けした漬け汁で、これで豆腐や鴨肉などを煮る。いままであまり作っていなかったのは、この香辛料の香りが、日本人の口に合わないというか、自分が好きじゃないせいだけれど、ちょっと研究してみたくなった。鹵水は見た目よりも甘くない。そこへ強い香りや漢方由来の苦味やエグ味がかすかにあるものだから、口に入れた瞬間よりも、ゆっくりとにじみ出る素材自体の旨味を楽しむ形になる。
潮州が発祥の地だと思われるが、上海にもこれをウリにしている店はポツポツある。この味で育ったら、この味がなくてはならないのだろう。
潮洲といえば、肉骨茶(バクテー)の潮洲系のは、シンガポール系と呼んでいるのと同じで、具が少なくて、胡椒をはじめとした香辛料が効いている。つまり当店の肉骨茶(バクテー)に近い。鹵水もスープの風味に香辛料や漢方を効かせるところが共通している。ただ、鹵水は、前菜に出す料理になるので、肉骨茶よりもずっと軽い。鹵水の素材セットをオリジナルで作ったら、買う人いるだろうか・・・
坂口博士は、日本酒の味は、広い大衆の嗜好によってバックアップされなければならないとしている。そして、その造り方ゆえに、時代とともに大きく変化してきた味を、短所ばかりではなく、若々しいフレキシビリティーを特徴付けるとして、評価している。そういうモノの見方ができるのは素敵だ。葡萄酒やウィスキーが、長年貯蔵を経たのが尊ばれ、その手本のある手前、後の酒質に唐突な変化がおこるはずはないと、他の酒との違いについても触れている。
プーアル茶の年代モノも、どちらかというと後者の葡萄酒やウィスキーに似ているはずなのに、いま新しく作られている品のほとんどに、昔の風味の面影はない。それほどに、農業をとりまく環境や、社会環境が大きく変化したのだ。日本酒の柔軟さを手本にして、新しい味を評価したいところだけれど、それに適う仕事はなかなか見当たらない。また、たとえ良い仕事の品が見つかっても、その味が広い大衆の嗜好に応えられるような価格では出てこないだろう。ここはひとつ、高級なお茶に対して、お客様に身を削ってもらうしかない。まじめな話。さもなければ、名ばかり残って、味は残らないだろう。
静かな部屋で、プツプツと沸きつきの音を聴く喜びは、他人から見たらちょっと危ないものがある。手順をかえ、材料の配分をかえ、保存の温度を調整して、甘くなったり辛くなったり、酸っぱくなったり。ときには、臭みが出て失敗したり。
基本的な作り方はそうかわらなくても、細かなところで、こうしたほうが良いのではないかと気がついて、こうした場合と、そうした場合との違いを注意深く調べてみて、その結果から、他の工程すべてを見直してみて・・・という具合に、小さな創意工夫を根気よく重ねてゆく。その行為は、向こうからやってくるハプニングや、好奇心に身をゆだねて楽しめる異国への旅みたいなものではなく、ごく平凡な日常に、自ら変化をつくってゆく内なる旅で、積極的に創造力を働かせないと退屈する。
(どぶろくに昼からごきげんなスタッフ)
ドキドキするようなスリルはなくても、ちょっとした心の隙が敗北の味を生む。どぶろくの味にさえも、作る人の心の強さや弱さが表れる。静かで孤独な闘い。趣味で造ってもそうなのだから、職業で造っている人は、もっと大きな苦労や喜びがあるのだろう。
ここでもう一度、「日本の酒」発酵学者・坂口博士著を読み返してみると、やっぱり日本の酒の仕事はすごい。坂口博士の仕事もすごい。その美学、その哲学、仕事に対する愛の大きさがちがう。
本物を嗜むということには、その味や質を鑑賞するだけでなく、それを成した仕事を尊ぶ喜びがあると思う。もっと本物の日本酒を飲んでみたい。知ってみたい。
鹵水豆腐。
鹵水とは、塩をベースに、香辛料や醤油で味付けした漬け汁で、これで豆腐や鴨肉などを煮る。いままであまり作っていなかったのは、この香辛料の香りが、日本人の口に合わないというか、自分が好きじゃないせいだけれど、ちょっと研究してみたくなった。鹵水は見た目よりも甘くない。そこへ強い香りや漢方由来の苦味やエグ味がかすかにあるものだから、口に入れた瞬間よりも、ゆっくりとにじみ出る素材自体の旨味を楽しむ形になる。
潮州が発祥の地だと思われるが、上海にもこれをウリにしている店はポツポツある。この味で育ったら、この味がなくてはならないのだろう。
潮洲といえば、肉骨茶(バクテー)の潮洲系のは、シンガポール系と呼んでいるのと同じで、具が少なくて、胡椒をはじめとした香辛料が効いている。つまり当店の肉骨茶(バクテー)に近い。鹵水もスープの風味に香辛料や漢方を効かせるところが共通している。ただ、鹵水は、前菜に出す料理になるので、肉骨茶よりもずっと軽い。鹵水の素材セットをオリジナルで作ったら、買う人いるだろうか・・・
坂口博士は、日本酒の味は、広い大衆の嗜好によってバックアップされなければならないとしている。そして、その造り方ゆえに、時代とともに大きく変化してきた味を、短所ばかりではなく、若々しいフレキシビリティーを特徴付けるとして、評価している。そういうモノの見方ができるのは素敵だ。葡萄酒やウィスキーが、長年貯蔵を経たのが尊ばれ、その手本のある手前、後の酒質に唐突な変化がおこるはずはないと、他の酒との違いについても触れている。
プーアル茶の年代モノも、どちらかというと後者の葡萄酒やウィスキーに似ているはずなのに、いま新しく作られている品のほとんどに、昔の風味の面影はない。それほどに、農業をとりまく環境や、社会環境が大きく変化したのだ。日本酒の柔軟さを手本にして、新しい味を評価したいところだけれど、それに適う仕事はなかなか見当たらない。また、たとえ良い仕事の品が見つかっても、その味が広い大衆の嗜好に応えられるような価格では出てこないだろう。ここはひとつ、高級なお茶に対して、お客様に身を削ってもらうしかない。まじめな話。さもなければ、名ばかり残って、味は残らないだろう。
- 2008.07.17 Thursday
- 豆腐料理
- 09:27
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- by ふじもと