プーアール茶.com

干貝炒飯

干し貝柱の炒飯を作る。
定期的に作るのは、美味しいせいもあるけれど、コックさんの腕を鈍らせないためもある。炒飯は常に作っていないと、腕が思うように動かなくなるらしい。蒸した米の写真撮影のために、今日は2回も米を蒸した。
干し貝柱
米を蒸す
米を蒸す
米を洗って、土鍋に水を適当にはる。水の量は目分量なのだが、水面から米まで5〜6mmほどであった。20分そのままにして、蒸し器に入れて、強火にかけ、蒸し器の水が沸騰してからは中火にする。土鍋の蓋はしない。蒸すこと1時間。
蒸した米
干し貝柱は洗って碗に入れ、紹興酒をふりかけて蒸す。15分。蒸しあがったら押しつぶして、パラパラにしておく。
卵を溶き、少し紹興酒、塩をふる。葱は刻んでおく。中華鍋に油を熱して、溶き卵、干し貝柱、米の順に入れて炒める。醤油少し、塩、胡椒、最後に刻んだ葱を入れ、香りが良くなるまで炒めて出来上がり。
干貝炒飯
干貝炒飯(干し貝柱のチャーハン)
口に含んだ瞬間に米の香りがブァーッと広がる。いや、爆発する。米の蒸し具合、油の量、火加減、すべてが最高のバランスの頂点に立ったときに、そうなる。美味しすぎて食べ過ぎる。
塩水生菜山薬助排湯
塩水生菜(塩茹でのレタス)
湯に塩とオリーブオイルを入れ、レタスを茹でる。
山薬助排湯(長芋とスペアリブのスープ)
大益沱茶05年プーアル茶
大益沱茶05年プーアル茶
本日のお茶は「大益沱茶05年プーアル茶」
左:室内保存 右:倉庫熟成。
茶湯の色は1月9日の時点から変化していないが、味は変化している。どのように変化しているのか、いろいろ調べているが、いまのところ味覚で感じたところと寸分の狂いもない。

泡菜炒飯

いまだ広州の旅の興奮冷めやらず。
また行きたい。飲茶に1ヶ月。広東料理に2ヶ月。その近辺の地方料理に2ヶ月。あわせて5ヶ月は広州滞在が楽しめるだろう。1年楽しむのなら「広州のお昼ご飯!」もいい。それにかかる費用なら、いますぐ用意できるぞ。いかん。もっと冷静になれ、自分。
さてと、気持ちを上海に戻して、四川泡菜で泡菜炒飯をつくる。
米を蒸す
四川泡菜
泡菜を炒める
四川泡菜の刻んだのと、卵、葱とシンプルな具。干し貝柱を入れるかどうかコックさんが迷っていたが、味を試すのなら入れないほうがいいとなった。四川泡菜は油で炒めてしっかりと香りを出す。隠し味に醤油と紹興酒。
泡菜炒飯
泡菜炒飯(漬物チャーハン)
不味い。失敗だった。四川泡菜の量が多すぎてなにしろ酸っぱいのと、とくにセロリの香りが強すぎる。そもそも完成している料理に対して、そのバランスを大きく揺るがす素材を足すのが間違っていた。泡菜の量を減らしても、バランスをとるための具を足すことになる。足し算でなんとかしようとするのは、なるべく避けたい。
排骨蘿蔔湯
排骨蘿蔔湯(豚スペアリブと大根スープ)
なぜか、チャーハンのときはうちではこのスープが多い。
中茶牌繁体字8863版鉄餅80年代
中茶牌繁体字8863版鉄餅80年代
中茶牌繁体字8863版鉄餅80年代
本日のお茶「中茶牌繁体字8863版鉄餅80年代」。
2ヶ月かかった「83鉄餅80年代プーアル茶」の文章作成のクライマックスを迎える2つのお茶の試飲「中茶牌繁体字8653鉄餅80年代」と「中茶牌繁体字8863版鉄餅80年代」。「8653」と「8863」の番号(茶号)が違う。つまり使われている茶葉が違う。この「8863」のために広州へ行ってきたのだった。1980年代モノのかどうかは、実際のところ怪しいが、今回はこれが主役商品ではないので、追求はしない。茶葉の違いを見るためにある。
当店では「83鉄餅」「92紅帯青餅」を、新味の美味しいプーアル茶として押してゆこうと思っている。香港の倉庫でしっかりと熟成されたタイプの旧味で美味しいのが少なくなって、入手が難しい。金額的にも難しい。
広州の飲茶レストランに「92紅帯青餅」を持参して、点心をつまみながらこれを飲んだが、なかなかよかった。旧味として「同興號後期圓茶70年代」も試してみたが、最近のあっさりめの味付けの点心には新味のほうが似合うのではないかと思う。

泡青菜炒飯

今日も漬物の料理。
漬物を炒飯にする。
泡青菜
泡青菜炒飯
炒飯はいつもの具。葱、玉子、干し貝柱。それに刻んだ泡青菜を軽く油炒めして香りを出したのが加わる。漬物は、少しずつ味が変わってゆく。だんだんと酸っぱく塩辛くなってゆくから、毎回少し味見して、その量を調整することになる。今日は、いつもより干し貝柱をかなり削減して、隠し味につかう醤油は入れてなかった。
泡青菜炒飯
泡青菜炒飯(漬物のチャーハン)
これまでのチャーハンの中でもかなり美味しい出来だと思う。塩加減はちょうど。漬物の酸っぱさくどくなく、何も言われなければ、それが入っていることに気付かないくらい。漬物の刻みの大きさについて、違うパターンを試しておいたほうが良さそう。今日のは、ちょっと小さすぎたような気がする。味がなじみすぎ。
咸肉木耳山薬鶏爪湯
木耳山薬鶏爪湯(黒木耳と長芋と鶏の爪のスープ)
この数日冷えて晴れて、咸肉づくりにちょうど良くて、半干しになったのを、スープの出汁に使われた。半干しの咸肉は柔らかく食べられるし、甘塩程度の加減でちょうど良い。いろいろな料理に使えそうである。
易武古鎮老散茶50年代
易武古鎮老散茶50年代。
口に溶ける系統のお茶。老散茶の中でもかなりいいほうだと思う。文章作りにまた一ヶ月ほどかかりそう。やや高額な品が多くなっているせいか、文章が難しくなっているせいか、このところ女性客が減っている。わかってはいるけれど、しばらくはその方向に大きく振れる方針でいる。当店のお茶が女性にモテるようになるのは、30年後くらいかな・・・

栗子鶏肉土鍋飯

栗が食べたい。
早くも栗が市場に現れ、下手くそな焼き栗売りのおじさんを街角に見かけるようになった。コックさんに栗をケチらないご飯の料理をお願いした。過去にも栗の料理は「糖醋栗子焼肋骨」「栗子咸肉菜飯」など、思い出しただけでも目まいがする。
鶏と栗
栗の殻をむいて熱い湯につけて渋皮をむいて、鶏はサイコロのように切って、椎茸は洗って、葱と生姜をたっぷりの油で炒めて、そこに鶏、椎茸、栗を足して、最後に洗った米を足して、紹興酒、塩、胡椒、少しの醤油で味付けする。土鍋に熱湯をはって、そこに全部を移して、蓋をして弱火で40分くらい炊く。
栗子鶏肉土鍋飯
栗子鶏肉土鍋飯
栗子鶏肉土鍋飯(栗と鶏の土鍋炊き込みご飯)
タレは、醤油、胡麻油、胡椒、葱、生姜汁、紹興酒。好みで足して食べる。
栗が甘い。胡椒がいい具合に効いている。米の炊き具合がいまいち、土鍋の底が焦げ付いて、その煙の臭いがご飯全体に移ってしまった。火加減が難しいらしい。何度か失敗して慣れるしかないな。土鍋は、火を止めてからでも10分くらいは熱が逃げないから、最後の10分くらいは火を止めて蓋をしたまま蒸らすのがいいかもしれない。
鶏骨山薬湯
鶏骨山薬湯(鶏ガラと長芋のスープ)
同興号後期圓茶70年代プーアル茶
本日のお茶は「同興号後期圓茶70年代」
定期的に飲んでいるとわかるが、同興号は他の茶葉に比べて味の変化が大きい。あらかじめ崩して散茶にして、瓶に入れて保存している茶葉を少しずつ取り分けて飲んでいるのだから、円盤型に固めた餅茶の状態で保存しているものよりも、茶葉は均等に熟成しているはずだ。今回はどういうわけか、ちょっと若返りしたような風味があって、かすかな梅香。鰹と昆布の一番だしをとるように、サッとあっさり淹れると、いっそう若々しい風味になる。あるときは、どういうわけか味がダメになってしまって、瓶の蓋が半開きになっていたせいで湿気たかな?と思ったことがあったが、そのまま2週間ほど放っておいたら、また美味しく戻っていた。30年間も眠りながら、ちょっとづつ変化している。まっすぐに老茶へと向かってゆくのではなく、河のように蛇行しているようだ。

炒飯そろそろ終わり

炒飯づくりをそろそろ終わりにしたい。
安定して完成度の高い炒飯ができるようになった。集中して作るのがよかった。コックさんの料理に取り組む姿勢が変わってきた。
炒飯
麻婆豆腐
つぎは麻婆豆腐に集中する。
炒飯も麻婆豆腐も相撲にたとえると横綱だ。勝っても負けてもまっすぐ押すのみ。その姿勢が大事なんだ。
ひそかに「薬膳デザートの素材セット」の販売がスタートしている。これもだいぶん集中してレシピを煮詰めてある。

炒飯まだつづく

まだまだ炒飯はつづく。
ブログの内容は単調になり、更新も少なくなり、読者数は減ってきた。ちょうどいい。ついでに一週間ほどブログを休むつもりだ。その間にもコックさんは黙々と炒飯を作り続ける。そして自分は、ブログに書く必要の無い食事を楽しんでこようと思う。
炒飯
炒飯
米と卵の関係をもう一度見直すべく、別々に炒めてみたり、いっしょに炒めてみたり、よく混ぜたり混ぜなかったり。米の炊き具合や蒸し具合の違いでどうなるか比べてみたり、そんな退屈な作業が延々と続く。食べるほうは飽きてしまって、すでに美味しいのかどうかわからない。いったい何処へ向かっているのか、ゴールも見えない。360度地平線の砂漠を歩いているようなものだ。ただ、一つ分かっていることがあって、それは、今後外食したときに、うちよりすばらしいと思える炒飯に出会うことはまず無くなったことだ。当店のプーアル茶の中から本当に美味しいのを見つけると、他で美味しプーアル茶に出会えなくなるのと同じだ。
ところで、プーアール茶を6種類味比べできるセットを作った。
6種もの熟成の違いをいちどに試せるのが凄い。こういうふうに揃えるのは簡単ではない。いまこの意味がわからなくても、試しておくべし。その意味が分かるようになった頃に、まだこのセットが存在するとは限らない。

火腿炒飯

なおも炒飯は続く。
「米の声、卵の声、火の声、一つ一つの声を聞きながら作ってください」と言うと、コックさんは目を丸くして口を半開きのまま3秒ほど固まってしまった。ついに頭がおかしくなったと思ったらしい。それは望むところだ!頭がおかしくなるまでやる。そこからやっと何かが始まる。われわれはまだ入り口にも立っていない。
火腿炒飯
火腿炒飯
火腿炒飯(中華ハムのチャーハン)
今日の具は、火腿と椎茸、茹でたスナックエンドウを刻んだもの。それ以外は基本の卵チャーハンと同じ。味付けもシンプル。火腿の塩分があるから、調味料はなにも使わない。関係する素材の数を減らすほどに、それぞれの関係が分かりやすくなり、コントロールできるようになってくる。ひとつひとつの物質の熱による変化や相互作用が見えてくる。なぜそれが料理のレシピ本に書かれなかったり、教室で言葉として伝えられないかというと、あまりにもパターンが多く、それに常に流動していて、文章や言葉に固定するのが難しいのだと思う。例えば、自転車の乗り方で、どうして二輪だけでバランスがとれて走れるのか、タイヤ、地面、手や足の力、体重の移動、速度などの関係を文章や言葉で教えるのが難しいのと似ている。なんども繰り返して、感覚をつかむのみ。

炒飯の日々つづく

ひきつづき、毎日炒飯を作ってもらっている。
干貝炒飯以降に美味しい炒飯は出来ていない。でも素材を変えたり、作り方を変えたりして、ひたすら炒飯なのだ。コックさんはなぜそんなことをするのか?と聞くが、うまく説明できない。「もっと頭を使って下さい」と言い続けるのみ。そんなに頭を使ったらおかしくなって病院に行くことになるとコックさんは本気で思っているようだが、そんなことにはならないから、もっと頭を使って下さいと言い続ける。
炒飯
炒飯
自分で考えずに人に頼ろうとする習慣が身についてしまっているのだ。人に言われたとおりに作れば、不味くなったら人のせいにできる。本でレシピを学んで、美味しく出来なかったらその本のせいにする。自らの目や鼻や耳に頼って、素材の小さな声を聞き取り、そこから炒飯の秘密を解明してほしいのだ。まだしばらく炒飯の日々が続きそう。すぐに答えが見つかるかどうかはわからないが、この経験が引き出しを増やして、将来もっといい料理が作れる基礎になると思っている。炒飯が終わったら、つぎは麻婆豆腐にでもしようか。

炒飯の日々

それから、毎日炒飯を食べている。
素材をかえていろいろ試しているが、前回ほど良いものはできない。炒飯もまた、良いものと普通のものとの距離は果てしなく遠い。だから美味しい料理はすごいのだけれど・・・
芥藍の炒飯
豆鼓醤の炒飯
梅干し炒飯
芥藍の炒飯
豆鼓醤の炒飯
梅干の炒飯
続けるのがだんだん辛くなってきている。コックさんのモチベーションも下がり気味。この活動自体、なんの意味もなんの価値も無いことだけれど、なぜか止められないのだ。
蝦とふくろ茸のスープ
鶏団子とトマトのスープ
蝦とキノコのスープ
鶏団子とトマトのスープ
炒飯にあわせるスープは毎日美味しい。脇役だから、むしろ並みの美味しさで十分なのだと思う。
読書三昧
お茶は「同興号後期圓茶70年代 」
最近かなりの時間本を読んでいる。日本の本屋さんで適当に買っり、友人にもらった本。写真の本は「賢人の知恵」バルタザール・グラシアン著。17世紀のスペインの哲学者の書いた処世術。その他、まったく関係の無いSF小説とか、サスペンスとか、ビジネス書を読んで気付いたのだけれど、どれも同じ一つのことを書いている気がする。ひとことで言うと「人生」のことだ。もっとまっすぐ向き合えってことか。

干貝炒飯

干し貝柱がたくさんあるので、それで炒飯を作ることになった。
手前の鍋はご飯を蒸していて、奥の鍋は干し貝柱に紹興酒をふりかけて蒸している。
炒飯の米を蒸す
炒飯の米を蒸す
蒸した干し貝柱は手でほぐす。その他の具は、葱、ミニ白菜、鶏卵。肉はなし。味付けは胡椒、醤油、ほんの少しだけ砂糖(干し貝柱に甘味のついているやつは要らない)。干し貝の塩分が強いので、塩は足さない。
干貝炒飯(干し貝柱のチャーハン)
干貝炒飯(干し貝柱のチャーハン)
干貝炒飯(干し貝柱のチャーハン)
きたーっ!久々の大ヒット。むちゃくちゃ美味い。これは料理なんてもんじゃない。芸術品だ。ひとくちめの炒飯が口に入って3秒で世界が変わる。自分が変わる。こういうのは、年に何回もないだろう。これだけ美味しいものを求めていてもだ。”美味しさ”のもつ力の凄さを忘れかけていた。
今回の炒飯は、いつもよりも少なめの油で炒めてある。コックさんは、炒めものは油が多いほうが美味しいと思っている。しかし炒飯の場合はちょっと違う。「口に入って3秒で世界が変わる」と言ったが。ここに重要なポイントがある。味よりもはるかに短時間で口の中に広がる香り。その香りを含んでいる空気が大切なのだ。油が米粒や具の表面全部をコーティングしてしまうと、米粒や具の香りが閉じ込められて、口の中での香りの広がりが悪くなる。もちろん油の香りというのもあるから、それらがバランスよく米粒や具の隙間の空気に溜まり、口の中でいっきに広がる仕組みにならないといけない。油が少ないと焦げ付く心配があるため、ひっきりなしに中華鍋をゆする。もともと重い中華鍋+ご飯の重さは半端じゃない。その仕事が、人の世界の見え方を3秒で変える。料理人の仕事はすごい。
咸肉蕃茄蛋湯
咸肉蕃茄蛋湯(トマトと卵と塩漬け干し豚肉のスープ)。
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本日のお茶「プーアル青磚茶90年代」
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