ほうたれ鰯の塩辛
宇和島は、瀬戸内海から宇和海沿いを南へ走ってくる特急の終着駅。神社があって城があって、年に4回ほど闘牛があるくらいで、これといった見所もない。街が栄えたのは昔のことで、商店街はシャッターが閉まりっぱなし。駅前のバス乗り場のベンチでは、赤ら顔のおじいちゃんがワンカップ酒を手にしたまま眠っている。中学生が四川大地震の募金活動をしていたが、通りがかる人よりも募金箱のほうが多い。
なにはなくても、美しい宇和海がある。山と海が大きく入り組んだ湾をつくり、静かな波に養殖筏が浮かぶ。寅さんの映画の最初のシーンで出てきそうな、日本のふるさとの海。夏はとくに美しい。山の緑、海の青、空高く沸きあがる真っ白い入道雲。ランニングシャツと麦藁帽子。
薬師谷渓谷のそうめん流しを食べて、薬師谷温泉でゆっくり休憩してから、駅前に戻ってきた。平日の夕方というのに、宇和島の繁華街の人通りはまばら。行列のできる店などひとつもない。従兄弟が宇和島の友人に聞いてくれた美味しい店のメモがポケットにある。それに5店ほどあったが、一番上に書いてある店へ歩いてみた。20分ほど歩いて、宇和島消防所の隣の筋の「一心」の前に立った。一軒家の立派な店構え。看板には海鮮割烹とだけ書いてあって、メニューを外に張り出すような気安い店ではない。どうしようかと、そのへんをふらふらしてから、やっぱり戻ってきた。石畳の路地を入って引き戸を開けると、「いらしゃいませ!」と女将さんらしき人。「予約はありません。ちょっと一杯飲んで、ちょっと食べて帰りたいのですが・・・」と聞くと、どうぞカウンターへ!と通してくれた。分厚くてどでかい一枚板?のカウンターに自分ひとり。右端には掃除のゆきとどいた水槽。ホゴ(カサゴ)や鯛が泳いでいる。個室の座敷の部屋が多くて、そこにはお客さんがちらほら見える。こいつはちょっと高くつくかもしれないと思ったが、すぐに見せてくれたメニューの値段はそれほどでもない。
冷酒の飲み比べ3種と、イサキの刺身を注文すると、大将がカウンターの向こうで魚を切る。厚く切った刺身が、氷を敷いた綺麗なガラスの器で出てきた。酒と刺身だけだったら勘定は2000円くらいで、特別な印象はなかっただろう。イサキを食べながらメニューを眺めていると、塩辛のページがあって、およそ10種くらいあっただろうか、イカの塩辛や酒盗(魚の腸の塩漬け)の定番以外に、鯛、ほうたれ鰯、きびなごなどが書かれている。全部一皿500円。しかし、ほうたれ鰯やきびなごの塩辛というのはどういうのだろう?刺身に酒盗でもつけて食べるのかな?女将さんに、これはどういうのですか?と聞くと、「生の鰯を姿のまま塩漬けにしてます。3年ほど漬けたものです」。・・・それください!そして冷酒を。
ほうたれの塩辛の注文に大将はうれしそうで、宝物のような箱をカウンターの下から出してきて、一匹一匹を皿に盛る。酒は城川郷の純米酒。
ほうたれ鰯の塩辛。
見た目は焼いためざしのようにも見えるけれど、全く違う。これは生だ。干してもいないし、火も通っていない。塩で水分が抜けているだけなのだ。臭いははっきり覚えていない。ということは、自分の好きな発酵系だったか、もしくは匂わなかったのか。噛むと、骨はやわらかくポロポロになっている。内側からややゼリー状になった身がぬるっと出てきて舌に乗る。艶めかしい。脳がグラッとくる。腸はほろ苦く、鰯らしい風味がある。塩は強いがまろやかで、舌になじむ。日本酒が合う。3年も漬かっていて、もしも鮒寿司のように乳酸発酵していれば、もっと酸味があるだろうし、身はシワシワしているはず。成分の変化だけなのか、ほんの少しだけ乳酸発酵なのか?それを調整する塩加減が絶妙なんだろう。そういえば、アンチョビにも似ている気がする。ほうたれ鰯の塩辛には、油は使われていなが、鰯自信がもつ油がある。この油が自身の身を包んで、こうなる可能性もある。
「これは店の創作ですか?それとも伝統のものですか?」と聞くと、宇和島の漁村の出身で75歳になる店の板前さんがこれを覚えていて、再現してみたとのこと。当時は納豆のように藁で包んだそうだが、今はさすがにそれはできない。何度も何度も失敗して、この2〜3年にようやく安定した味ができるようになったらしい。どのくらい前から作りはじめたかと聞くと、塩辛の研究は板前になりたての30年ほど前からしていて、ほうたれ鰯は、たしか10年くらいと言っただろうか。獲れたての新鮮なのを使うことや、塩の加減など、その話をする大将が実に嬉しそう。5年モノがついこの前に売り切れて、それは白い粉が表面に噴いたようになって、まろやかだったらしい。
5匹をぺろっと食べると喉が渇いて、ビールを飲んだ。別の塩辛も3つほど小分けして出してもらった。イカの嘴の塩辛が旨かった。さらにお酒。いつのまにか隣に、すでに酒の入った赤い顔の常連さんが座っていて、蜂蜜の話がはじまる。その常連さんは蜂蜜の農家で、店の大将の先生だという。大将がうちの蜂蜜を飲んでみてください!とぐい飲みに少し飲ませてもらったのは、蜂蜜というよりはメイプルシロップのよう風味で、複雑で厚みのある味わい。何の花ですか?と聞くと、ここらあたりのミカンではなくて、山の深いところのだから、いろいろ混ざっていると思いますとのこと。
気持ちよくなって、食もお酒もすすむ。お勧めを聞くと、自分が足摺を旅してきたと知ったせいか、魚よりも天然の鰻はどうでしょう?と言う。鰻にはちょっとこだわってるんですと、控えめながら自信がありそう。実は途中の乗り継ぎのある中村の寿司屋で、四万十川の天然鰻をうな丼で食べていたが、あまり満足できなかった。やはり天然の鰻は白焼きがいいと思って、食べなおすつもりで頼んだ。寿司屋のうな丼と同じ2500円なのに、それよりもちょっと量があったし、焼き具合が絶妙だった。ブリッとした白身の弾力は歯をはじかんばかり。皮は厚くてその分硬いが、パリッと焼かれて香ばしい。肝は小ぶりで濃い味と歯ごたえ。骨はせんべいにもしてくれて、隅々まで堪能できた。愛情のこもった上等な料理に大満足。さすがに酔ってしまって、他にも食べたのか飲んだのかはっきり覚えていない。お勘定は9000円代だった。
八幡浜行きの最終の特急に乗れるように、なごりおしいが9時前に店を出て、駅へ歩いた。薬師谷温泉から手に持っていたタオルを店に忘れてきたのに気付いた。まあいいや。列車が動き出すまでは覚えていたが、はっと気がつくと伊予市だった。眠って3駅ほど乗り過ごした。松山から逆方向の宇和島行きの最終の特急に乗って、深夜にようやく八幡浜の親戚の家へ帰った。酔って寝過ごすなんて、これが人生で2度目のことだった。
この店「一心」のホームページがある。
⇒「一心」
なにはなくても、美しい宇和海がある。山と海が大きく入り組んだ湾をつくり、静かな波に養殖筏が浮かぶ。寅さんの映画の最初のシーンで出てきそうな、日本のふるさとの海。夏はとくに美しい。山の緑、海の青、空高く沸きあがる真っ白い入道雲。ランニングシャツと麦藁帽子。
薬師谷渓谷のそうめん流しを食べて、薬師谷温泉でゆっくり休憩してから、駅前に戻ってきた。平日の夕方というのに、宇和島の繁華街の人通りはまばら。行列のできる店などひとつもない。従兄弟が宇和島の友人に聞いてくれた美味しい店のメモがポケットにある。それに5店ほどあったが、一番上に書いてある店へ歩いてみた。20分ほど歩いて、宇和島消防所の隣の筋の「一心」の前に立った。一軒家の立派な店構え。看板には海鮮割烹とだけ書いてあって、メニューを外に張り出すような気安い店ではない。どうしようかと、そのへんをふらふらしてから、やっぱり戻ってきた。石畳の路地を入って引き戸を開けると、「いらしゃいませ!」と女将さんらしき人。「予約はありません。ちょっと一杯飲んで、ちょっと食べて帰りたいのですが・・・」と聞くと、どうぞカウンターへ!と通してくれた。分厚くてどでかい一枚板?のカウンターに自分ひとり。右端には掃除のゆきとどいた水槽。ホゴ(カサゴ)や鯛が泳いでいる。個室の座敷の部屋が多くて、そこにはお客さんがちらほら見える。こいつはちょっと高くつくかもしれないと思ったが、すぐに見せてくれたメニューの値段はそれほどでもない。
冷酒の飲み比べ3種と、イサキの刺身を注文すると、大将がカウンターの向こうで魚を切る。厚く切った刺身が、氷を敷いた綺麗なガラスの器で出てきた。酒と刺身だけだったら勘定は2000円くらいで、特別な印象はなかっただろう。イサキを食べながらメニューを眺めていると、塩辛のページがあって、およそ10種くらいあっただろうか、イカの塩辛や酒盗(魚の腸の塩漬け)の定番以外に、鯛、ほうたれ鰯、きびなごなどが書かれている。全部一皿500円。しかし、ほうたれ鰯やきびなごの塩辛というのはどういうのだろう?刺身に酒盗でもつけて食べるのかな?女将さんに、これはどういうのですか?と聞くと、「生の鰯を姿のまま塩漬けにしてます。3年ほど漬けたものです」。・・・それください!そして冷酒を。
ほうたれの塩辛の注文に大将はうれしそうで、宝物のような箱をカウンターの下から出してきて、一匹一匹を皿に盛る。酒は城川郷の純米酒。
ほうたれ鰯の塩辛。
見た目は焼いためざしのようにも見えるけれど、全く違う。これは生だ。干してもいないし、火も通っていない。塩で水分が抜けているだけなのだ。臭いははっきり覚えていない。ということは、自分の好きな発酵系だったか、もしくは匂わなかったのか。噛むと、骨はやわらかくポロポロになっている。内側からややゼリー状になった身がぬるっと出てきて舌に乗る。艶めかしい。脳がグラッとくる。腸はほろ苦く、鰯らしい風味がある。塩は強いがまろやかで、舌になじむ。日本酒が合う。3年も漬かっていて、もしも鮒寿司のように乳酸発酵していれば、もっと酸味があるだろうし、身はシワシワしているはず。成分の変化だけなのか、ほんの少しだけ乳酸発酵なのか?それを調整する塩加減が絶妙なんだろう。そういえば、アンチョビにも似ている気がする。ほうたれ鰯の塩辛には、油は使われていなが、鰯自信がもつ油がある。この油が自身の身を包んで、こうなる可能性もある。
「これは店の創作ですか?それとも伝統のものですか?」と聞くと、宇和島の漁村の出身で75歳になる店の板前さんがこれを覚えていて、再現してみたとのこと。当時は納豆のように藁で包んだそうだが、今はさすがにそれはできない。何度も何度も失敗して、この2〜3年にようやく安定した味ができるようになったらしい。どのくらい前から作りはじめたかと聞くと、塩辛の研究は板前になりたての30年ほど前からしていて、ほうたれ鰯は、たしか10年くらいと言っただろうか。獲れたての新鮮なのを使うことや、塩の加減など、その話をする大将が実に嬉しそう。5年モノがついこの前に売り切れて、それは白い粉が表面に噴いたようになって、まろやかだったらしい。
5匹をぺろっと食べると喉が渇いて、ビールを飲んだ。別の塩辛も3つほど小分けして出してもらった。イカの嘴の塩辛が旨かった。さらにお酒。いつのまにか隣に、すでに酒の入った赤い顔の常連さんが座っていて、蜂蜜の話がはじまる。その常連さんは蜂蜜の農家で、店の大将の先生だという。大将がうちの蜂蜜を飲んでみてください!とぐい飲みに少し飲ませてもらったのは、蜂蜜というよりはメイプルシロップのよう風味で、複雑で厚みのある味わい。何の花ですか?と聞くと、ここらあたりのミカンではなくて、山の深いところのだから、いろいろ混ざっていると思いますとのこと。
気持ちよくなって、食もお酒もすすむ。お勧めを聞くと、自分が足摺を旅してきたと知ったせいか、魚よりも天然の鰻はどうでしょう?と言う。鰻にはちょっとこだわってるんですと、控えめながら自信がありそう。実は途中の乗り継ぎのある中村の寿司屋で、四万十川の天然鰻をうな丼で食べていたが、あまり満足できなかった。やはり天然の鰻は白焼きがいいと思って、食べなおすつもりで頼んだ。寿司屋のうな丼と同じ2500円なのに、それよりもちょっと量があったし、焼き具合が絶妙だった。ブリッとした白身の弾力は歯をはじかんばかり。皮は厚くてその分硬いが、パリッと焼かれて香ばしい。肝は小ぶりで濃い味と歯ごたえ。骨はせんべいにもしてくれて、隅々まで堪能できた。愛情のこもった上等な料理に大満足。さすがに酔ってしまって、他にも食べたのか飲んだのかはっきり覚えていない。お勘定は9000円代だった。
八幡浜行きの最終の特急に乗れるように、なごりおしいが9時前に店を出て、駅へ歩いた。薬師谷温泉から手に持っていたタオルを店に忘れてきたのに気付いた。まあいいや。列車が動き出すまでは覚えていたが、はっと気がつくと伊予市だった。眠って3駅ほど乗り過ごした。松山から逆方向の宇和島行きの最終の特急に乗って、深夜にようやく八幡浜の親戚の家へ帰った。酔って寝過ごすなんて、これが人生で2度目のことだった。
この店「一心」のホームページがある。
⇒「一心」
- 2008.07.02 Wednesday
- 外食
- 18:37
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- by ふじもと